バーチャルボーイの真実
バーチャルボーイはテレビゲームじゃなく、すごい玩具。
バーチャル・ボーイの仕様:CPU(中央演算処理装置)は32ビットRISCチップ(NECのV810=PC−FXと同じ)。棒状に並んだ発光ダイオード(LED)、振動するミラー、レンズで構成したディスプレイを左右に二つ(一組)。表示画面の縦横比はおよそ9対16。暗闇を背景とした赤色モノクロ4階調で立体視表示。音声はステレオで、スピーカーを内蔵。単3アルカリ乾電池6本で約7時間動作。ACアダプター、充電式アダプターも別売り。本体寸法は幅217×奥行き254×高さ110mm(脚部と除く)。重さ760g。本体前面下部に装着するROMカートリッジの寸法は幅68×奥行き76×高さ6.5mm。コントローラは左右に二の+字キーと、ボタン4個
スーパーファミコンからNINTENDO64へのつなぎ? サードパーティの「踏み絵」? 任天堂が発売するバーチャルボーイには誤解が渦巻き、前評判もあまりかんばしくない。だが、断言する。バーチャルボーイはテレビゲームを超える、すごい玩具だ!
賛否両論。他の次世代機が両手放しで評価されるのに、バーチャルボーイには絶賛の声がある反面、「なんだ、あれは」「魅力を感じない」といった否定的な声も多いのである。
「これでわが社は十年は食っていける」という経営者もいれば、「しょせんはスーパーファミコンとウルトラ64の間を埋める『つなぎ商品』でしょ」と醒めた経営者もいる、という具合だ。
日本ではまだ、九四年十一月の初心会ソフト展示会で、業界関係者に展示されただけなので、一般の消費者の関心も薄い。今年一月にアメリカで開かれた家電展示会、CESでバーチャルボーイが初めて一般公開された。「タイム」誌も紹介記事を載せるなど、まさに「絶賛の嵐」だったのだ。
この落差はいったいなんなのだろう。
ゲームボーイの嫡出子
もちろん、参考出品されたソフトの完成度も大きく影響している。「初心会展示会」では、とにかく遊べるものをということで、急ごしらえでソフトを用意した。完成度でいえば二〇%」と任天堂も認めている。それに比べて、CESでは、T&Eソフトが本体と同時発売を計画しているシューティング・ゲーム『レッドアラーム』を展示するなど、ソフトの完成度は飛躍的に向上していた。
だが、それだけが原因ではない。日本がアメリカと根本的に違うのは、、サターンやプレイステーションなど「次世代ゲーム機戦争」が勃発している点だ。どうしても、「次世代ゲーム機」と同じモノサシでバーチャルボーイをとらえてしまう。どうやら、そこに最大の問題がありそうなのだ。
バーチャルボーイはそもそも「テレビゲーム機」、テレビに接続して楽しむゲーム機ではない。独自の表示装置をちゃんと備えている。開発思想(コンセプト)がそもそも違うのである。なのに、既存のテレビゲーム機の評価基準で解釈してしまう。そして、それがピント外れな行為だと気が付く人も少ないのである。
「ゲームボーイはファミコンの携帯版でしょ」というのが誤りであるのと同じである。ゲームボーイはゲーム機の一種だけれど、テレビゲーム機とは楽しみ方が根本的に違っている。
任天堂の商品系列には、ファミコン→スーパーファミコン→NINTENDO64という「テレビゲームの王道」のほかに、もう一つ大きな流れがある。ゲーム&ウオッチ→ゲームボーイという「ゲーム的玩具」の流れだ。傍流には、光線銃SPやラブテスターといった「ハイテク・アイデア玩具」の血統が存在している。
バーチャルボーイは後者の二つの血統を受け継いだ「ハイテク玩具」なのである。開発者も二つの血統の商品をすべて生み出してきた横井軍平氏(任天堂開発第一部部長)である。
横井氏はファミコンの開発にこそ携わったものの、その後の「テレビゲーム」群には直接かかわっていない。その意味でも、バーチャルボーイはテレビゲームとは似て非なる、あるいはテレビゲームを否定する開発思想にもとづいた商品なのである。
立体視を楽しむ玩具
そう、端的にいえば「立体で見えることを楽しむ玩具」である。そのために、「新しいテレビ=表示装置」まで、一から開発してしまったのだ。
バーチャルボーイの仕組みを簡単に説明しておこう。双眼鏡のような本体の中には、赤色の光を出す発光ダイオード(LED)を集めた「棒」が二組入っている。一センチに二〇〇個以上ものLEDが並んでいる。LEDを表示したい画像に合わせて発光させる。光をレンズで拡大し、振動する鏡(ミラー)に当てて拡散し、眼の残像効果、つまり眼の「錯覚」を利用して画像を浮かび上がらせる。
で、これが右目用と左目用の二つがある。それぞれ少しずつズレた画像を表示することで、視差が生まれる。それで、立体的にモノが見えるのである。原理的には、少し前にはやった「3Dステレオグラム(飛び出す絵)」と同じである。ただ、焦点をぼやけさせ、視線を交差させる、といった「訓練」は必要ない。誰もが簡単に立体視ができるのがミソである。
眼と眼の間隔や視力の違いを補正するアジャスター(調整)機能もついている。また、「のぞき穴」の周りにはスポンジによるカバーもついている。眼鏡をかけたままでも楽しめ、周囲の光を遮断するする効果もある。「のぞき穴」の向こうう側には、まったく異次元の立体世界が広がっているのだ。
本体を支えるスタンドは折り畳み式で、着脱できる。肩に乗せて固定できるスタンドも別売りされる予定である。単3乾電池6本で約7時間楽しめるから、自動車で移動するならば、持ち運んで楽しむことができる。まさに、「どこでもドア」なのである。
「のぞき穴」をのぞくと、視界全体は漆黒の闇。表示画面の縦横比は9対16で、ワイドテレビやハイビジョンと同じ。そこに赤色の光で、立体像がくっきりと、浮かび上がってくる。同じ赤色でも四階調の表示ができる。遠くの画像は暗く、近づくと明るく、といった方法で遠近感も強調できる。
ハドソンの中本伸一常務はこう言う。「闇に赤一色というのは、習字の世界。色などでごまかしがきかない分、ゲーム・システムの巧拙が如実に出る。それだけに、良いゲームを作りたいという挑戦欲をかきたてられる」。
毎秒何万ポリゴンを使用した、写実的で美しいグラフィック−−次世代機では、ゲームの本質とはあまり関係がない部分で競争が進んでいるきらいがある。バーチャルボーイは、そんなスペック競争とは決別し、ゲームの楽しさとは何かを改めて問い直すマシンなのだ。
テレビゲームは限界に達した。
新たな発展方向が必要になった
横井軍平氏に聞く
**バーチャルボーイはテレビゲームの否定から出発している気がしているのですが…。
横井 ファミコンを出した時点から、テレビゲームもいずれは飽きられるだろう、と不安で仕方がありませんでした。三十二ビットだ、CGだといったところで、しょせんは小手先の改良です。一六ビットの二乗、二五六ビットCPUにならないと「ゲームが変わる」とは言えないんじゃないですか。
いまの市場をみていると、作る方も行き詰まりを感じ、遊ぶ方も惰性に流されている。このままでは危ない、ということでいろんな商品を試作してきたのですが、テレビゲームを凌駕するだけの商品はなかなか作れませんでした。
どうせ作るからには一過性の商品でなく、息が長い商品にしなければならない。バーチャルボーイはそんな試行錯誤の中から生まれた商品です。自己採点で百三十点を付けたいぐらいの自信作です。
**発想はやっぱりバーチャル・リアリティ(VR)からですか。
横井 三年前に社長命令でVRについて調べたのですが、「VRは娯楽商品にはならない」というのが結論でした(笑)。ヘルメット型ディスプレイは重いし、満足がいく絵を作り出すには、スーパーコンピュータ級の能力が必要だし。
ところが、リフレクション・テクノロジー社の「プライベート・アイ」は、日本の代理店を通して、何度も売り込みがあったんです。貧弱なディスプレイなんですが、いろいろと試すうちに、とても繊細な絵が描けることがわかったんです。で、これを二つ使って「立体視」に徹したおもちゃを作ると、テレビゲームを超えるかもしれない、と思い始めました。
VRがきっかけではあるんですが、私は「バーチャル・ユートピア計画」と呼んでおるんです。人には真似ができない、そして世界に例がない「遊びの道具」を作るのが、私の生きがいですから。
**映画や写真の世界では、立体視はいつまでも「見せ物」の域を出ず、死屍累々なんですが。
横井 テレビのような受動的な情報機器には、そもそも立体の必要性はないんじゃないですか。能動的にかかわる世界ではじめて、立体であることが意味を持つんです。
テレビの画面にどんなにすごい映像を表示したところで、人は驚いてはくれませんよね。だけど、立体視で「奥行き表現」が可能になると、毎日のようにいろんな新しい発見があります。テレビや、それにつながるテレビゲームとは違って、「現実のシミュレーター」とでもいうべきおもちゃですね。
精密で迫力がある写実的な画像が、けっしてゲームの理想的姿ではないはずです。現実をデフォルメしたシンボリックなもので、どれだけ人間の想像力を刺激できるかというのが、ゲームという遊びの本質です。プラモデルよりは、単なる木片のほうが、遊び方は無限に広がるわけでしょう。
**いまさらモノクロ(赤)なんて、という評価が多いようですが。
横井 CESでスピルバーグ監督が私に「すごいマシンだけど、カラーだったらもっといい」と話してくれました。「ああ、この人もふつうの人だな」と思いました(笑)。 価格を二万円以内に抑えるというコストの問題もあるんですが、カラーだと色の情報に引きずられるのか、立体像を結びにくく、異常に疲れるんです。黒いバックに赤の発色というのは、視認もしやすいし、無限の奥行きを感じさせる。最善の選択だと思っています。
**「眼に悪そうだ」という声も、これまた多いんですが。
横井 アメリカの眼科医たちに評価をしてもらっているんですが、逆に「眼を良くする可能性もある」という声も出てるんです。「視力回復装置」なんかと原理は同じで、バーチャルボーイには眼の筋肉のストレッチの効果がありそうなんです。「疲れた」と感じるのも、ふだん使っていない眼の筋肉を使った心地良い疲れだというんです。だからいま、「眼が良くなるソフト」を作れないか、と研究しているぐらいなんですよ。
横井軍平氏=1941年、京都生まれ。同志社大学工学部卒業。1965年に初の「理工系」出身者として任天堂に入社。スーパーファミコン以外のほとんどの商品企画を担当「とにかく変なモノを工作するのが好きな少年でした。趣味の延長が仕事になってしまった落ちこぼれ人間ですよ」
ウルトラハンド(65年)。150万台のヒット。横井氏の処女作。上の棚のものをとるのに作った。ゲーム&ウオッチ(80年)。70種ほどシリーズ化され、8年間で世界で4800万台を売った。レーザークレイ射撃場(73年)。経営的には成功せず、任天堂は以後アーケードに慎重に。ウルトラマシン。ピンポン玉をプラ・バットで打つ。障子に穴をあけてよく叱られた。光線銃(70年)。光線銃SPとともに、70年代を画する最高の名玩具と評価高し。チリトリー(78年)。リモコンを操作すると掃除機がちょこまか動き回る。実用的だった。
新鮮な刺激がビシバシ
どんなに高度なCG技術を駆使したとしても、テレビに映し出す限りは、立体感にはおのずから限界がある。横井氏が十五年前に予測していた通り「平面の限られた範囲の映像」、いわば二・五次元映像にすぎない。たとえ『バーチャファイター』でも、しょせんは「平面に映し出された疑似立体映像」なのである。
だけど、バーチャルボーイは違う。「のぞき穴」の先には、現実を切り取ってきたかのような、完全に立体の「箱庭世界」が広がっている。自分自身がその映像世界に入り込んだような錯覚が起きてしまう。思わず手を伸ばして触れてみたくなるほどだ。
例えば、『スペースピンボール(仮題)』。宇宙空間を思わせる闇の中に、赤いピンボール・マシンが幻想的に浮かび上がっている。で、ボールをはじくと、いつものように「台ゆすり」のワザを使いたくなってしまう。
プレーヤー視点のボクシング・ゲーム『テレロボクサー(仮題)』だと、相手のパンチが顔面にヒットしそうで、思わずのけぞってしまう。自分が繰り出すパンチも、ブーンと画面の奥まで伸びていく。
それだけではない。立体感を活かした仕掛けも新鮮だ。ピンボールだと、ボールが突然「謎のチューブ」に吸い込まれ、画面の奥にいったん消えてまた戻ってきたりする。『シューティング』だと、画面奥の物陰に隠れて、敵機をやりすごしたり。
とにかく、これまで経験しなかった快感が、遊び手を襲ってくるのだ。たぶん、今までとは違った脳の部分にビシバシと、新しい刺激が加わっているのだろう。そう、生まれて初めてジェットコースターに乗った日の気分に似ている。
「のぞきからくり」の世界にも似ている。ひと昔前の縁日には、立体模型(ジオラマ)を「のぞき穴」ごしにながめる、という見世物が必ず存在していた。その多くは「親の因果が子に報い」の類のオドロオドロしい物語だったのだけれど、人々にとっては異次元の世界を実感できるメディアだったのだ。
メディアの歴史からいうと、いまの映画やテレビのルーツも「のぞきからくり」にある、と考える研究者が多い。だけど、映画もテレビも(そして、それに縛られるテレビゲームも)、「物語を伝える」という「のぞきからくり」の一つの側面ばかりを肥大化させていった。
「立体物で世界を切り取る」というもう一つの側面は切り捨てられてきた。バーチャルボーイは、この「のぞきからくり」の機能を電子的に復活させようとする野望でもあるのだ。
ゲーム機ディスカバリー号
「『あれもできる』『これもできる』とワクワクしっぱなし。テレビゲームの草創期にそっくりで、底知れないパワーを感じている。これまでのソフトとは次元が異なる面白さを追求できそうだ」。ティーアンドイーソフトの横山英二副社長は熱っぽく話す。テレビゲームの「文法」を作り上げるのに功績が大きかった開発者ほど、バーチャルボーイのソフト開発にハマっているのだ。
それはたぶん、こういうことだ。「次世代機」はいわば「スペースシャトル」である。通い慣れた軌道をいかに速く行き来できるか。そこにしか開発者の腕の見せ所はないに等しい。テレビという表示装置に縛られ続けている限り、ゲームに残されたフロンティアはもうそんなに多くはない。
ところが、バーチャルボーイは未知の世界を探索する「ディスカバリー号」である。「奥行き」や「立体」という要素が加わるだけで、ゲームにはまだ「さら地」に近い膨大なフロンティアが約束されているのだ。
画像の見せ方、奥行き表現の使い方、そしてゲーム・システムそのもの−−。発見されるのを待っているフロンティアは無数に存在している。だからこそ、腕におぼえがある開発者ほど、バーチャルボーイに入れ込むのである。
そして、それは遊び手にとっても、無上の喜びを与えてくれるフロンティアでもあるはずだ。ダンジョンを奥へ奥へと探検していく緊迫感。キャラクターにフィギュア(人形)のような存在感があるロールプレイングゲーム。ほんとうに「沈む球」や「浮き上がる速球」が投げられる野球ゲーム。想像しただけでワクワクしてくる。
「バーチャル・リアリティが家庭で楽しめるなんて、二十一世紀になってからだよ」。つい半年前まではみんなそう思っていた。そして、二・五次元の画像をバーチャル・リアリティだと思いこもうと無駄な努力をしていた。だけど、バーチャルボーイが発売された段階で、そんなことはちょっと昔の笑い話になるはずだ。
任天堂は常々「次世代機戦争というものは存在しない」と断言する。その言葉は正しい。バーチャルボーイは「異次元機」なのだ。そして、ゲームの「創世」の場にリアルタイムで立ち会える−−遊び手にとって、そんな機会はそう巡ってくるわけではない。
賛否両論。真に時代を動かす存在は、えてしてそういう評価の下で登場するものなのである。◆
