2010年07月13日(火)
『相撲、国技となる』 [大相撲]
大相撲というと多くの人が反射的に「国技」と答える人がいる。競技人口や教育現場での浸透などを総合的に勘案すると,柔道や剣道のほうが「国技」と呼ぶにふさわしいのではないか。
相撲には確かに相撲節会という伝統があった。しかし,それは古代天皇制下の話である。中世武士政権になると,相撲は単なる「力比べ」「戦闘訓練の一つ」に変質していく。そして,江戸時代から明治時代にかけては「うさんくささ」が漂う興行=「見世物」へとさらに変質する(寺社境内での仮設土俵での晴天時のみの興行)。都市の娯楽でもあり,巡業興行で「全国化」した。その背景には「瓦版」などによる後押しがあった。そして,明治期。西洋信奉の空気の中で,髷をつけて裸で戦う相撲は「野蛮」という扱いを受け,存亡の危機を迎える。
明治42(1909)年5月,東京・両国に「両国国技館」ができた。相撲が国技だから,そう名付けられたわけではない。建設を支援した板垣退助は武育館を主張したといわれる。つまり,「国技である相撲の常設興行場だから国技館」なのではなく,「国技館」というネーミングがヒットしたから,相撲は国技と呼ばれるようになったにすぎないのである。相撲=国技の位置づけにも当時の新聞のパックアップがあった。
そして大正天皇と皇孫殿下(昭和天皇)などの“お召し相撲”,天井の「神明造り」(それまでは破風造り)への変更などにより,相撲は「神事色」を強調し,近代天皇制=国家神道との結託が始まる。国技=大相撲の完成である。そこから先はNHKの相撲中継との結託だ。
「両国国技館」の建設と,それにともなうさまざまな改革があってはじめて,相撲は国技と認識されるようになったのである。それらを考慮すると,相撲が国技と称されるようになったのは,ほんの100年前にすぎない。相撲は時代の流れとともに,運営方法,様式などを変化させて生き延びてきたしたたかな歴史を有する。相撲人の思考法は本来は相当に柔軟なのだ(還元すれば節操に乏しい)。「ガバナンスの整備に関する独立委員会」が理詰めに攻めていけば,大改革も不可能ではないだろう。しかし,そのためには,委員たちが大相撲の歴史や仕組みにどれだけ精通しているかが問われるだろう。つまり,残すべきは残し,切り捨てるべきは切り捨てる。ただし,「第三者から押しつけられた」結果だと改革は不首尾に終わる可能性がある。相撲人たちが納得し,自発的に改革を推進する起爆剤役にすぎないことを委員たちが自覚することが重要なのだろう。
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